『嘔吐』に学ぶ(過去の清算が4000円安くなるクーポン券つき)

  • 言い訳

次に出す本の原稿の殆どが書き終わった。

こういうときによく面白いことが起こる。殆ど書き終わったあとに、書いたものと同じ方向性の雰囲気を醸し出す本に巡り合えることだった。

Aの要素を含んだ本を読んだからAの要素を含んだ本を書き始めるのではなく、Aの要素を含んだ本を書いていたらたまたま読んでいた本の中のAに出会うのだ。しかしこれはAを傍受するアンテナが拡大している状態(書くことによりAに対する解像度が上がっていて、Aを事細かに書けるよう材料を探している状態)ともいえるのだから、そういう意味では必然でもあった。

 

J-P・サルトルの『嘔吐』を読んでいる。

サルトルが提唱する実存主義と言われるものが通念した小説『嘔吐』である。個人的に、小説という虚構媒体にして、謂わば自らの思想を作品調にするのがかっけえくて魅力に感じ、興味を持ちました(面接)。自分の二次創作だ。

 

ここで初めに話を戻し、この『嘔吐』の中で出会った好きな表現を紹介する。

そして最後に、まるで魔法にかかったように、パロタンに一歩一歩ついてきた迷える子羊は、すっかり迷いから醒めて、改悟しながら古巣に戻って行く。
(中略)レミ・パロタンは愛想よく私に微笑みかけていた。彼はためらっていた。私の立場を理解して、おもむろに方向を逆転させ、私を羊小屋に連れ戻そうとしていた。しかし、私は彼を恐れない。私は子羊ではないのだ。(J-P・サルトル著/鈴木道彦訳, (2010).『嘔吐』, 人文書院, p.148)

私はこの限りないけだるさの奥底で、息の詰まる思いだった。それから不意に公園は、大きな穴が開いたように空っぽになった。世界も、やって来たときと同じように消え去った。あるいは私は目を醒ましたのだ――いずれにしても、世界はもう見えなかった。私の周囲には黄色の土が残っていて、そこから空中に何本も枯れた枝が突っ立っていた。(J-P・サルトル著/鈴木道彦訳, (2010).『嘔吐』, 人文書院, p.224)

 

この文たちの好きなところは、自分で勝手に深読みしてんのに急に梯子降ろすところだ。

自分を「子羊」だと比喩したあとに、私は子羊ではないのだ。といきなり梯子を降ろす。まあ人間だし。という当たり前のツッコミと、私は従順にはならない。という意味の綺麗なダブルミーニング

下の文では公園に行って林立する木々の放つ情報量に圧倒されてきもちわるくなっちゃう(かわいい)シーンなのだが、急にスン……って普通の公園の情景を感じるように戻る。なんなら自分で「目を醒ました」って言っちゃってるし。言うな。陶酔しろ。

 

この技法好き。結構お約束のパターンではあるので、何か修辞として確立されていそうなものだけど、何というのでしょうか。トートロジー?撞着語法?知ってるひとコメント欄で教えてね!(コメ稼ぎ)

 

この技法というか修辞というかを読みたくて『嘔吐』を読み始めたわけではないのに、こういう表現に出会えるのが面白かった。問題は、これをパクったと思われそうなことである。言い訳をするともう原稿は書き終わっている。剽窃をしていないのに後から読んだ本の中に似た表現があるとウッ……!ってなる。既にこの世にあるもの以外を作れるとも思わないが、それはそれでウッ……!となる。<吐き気>がやってくる。後発はそう思われても仕方ないし、どうしても弱い。全然関係ないけど土井集合住宅さんの『アルト』ってネタが面白かった。許されんのかこれぇ~~~~!!!?☝☝☝怒

 

2024/02/11 追記

『嘔吐』読了。オチまでちょっと被っちゃってるんだがこれぇ~~~~!!!?☝☝☝怒恐怖恐怖恐怖

 

ロカンタンの元カノのアニーは演劇をやっていた。

「恋に恋するような」という言葉が私は好きだ。
理想に自分が参画しても完璧にことをすすめられないことが事前にわかっているため、参画できないでいる。それよりかは、虚構/演劇調/「完璧」を形作っているものを見てその表面の美味しいところだけを掬い、あたかも理想に参画したと錯覚している方が楽しいし楽だし且つ純度が高いのだ。例として、青春や友達の輪を売りにしているYoutuberグループ、アイドルグループなど。これを見ると過去に友達がいた者は懐古し、いない者は自分史に存在しなかった在り得たかもしれない空想に浸ることが出来るのだ。

しかしアニーは舞台の上にもそんな理想はなかったという。演劇中でも、他の演者と顔を鉢合わせると吹き出しそうになったと語る。アニーはアニーであった。
そしてもう一つ、人間は舞台の上・現実世界隔たりなく、その場に応じた「完璧を作り出さなければならない」義務があるという。アニーは実体験を基にした例を出した。主人公のロカンタンとデートをした際、それもはじめてのキスの際、腿の裏にちくちく刺さる草を20分も我慢しなければならなかった。その場で体勢を直したり痛がったりするのはムードを壊すからだ。

アニーはロカンタンに向かって云い放った。

「それじゃあなたは、ちっともあたしと同じことなんか考えていないわ。自分では何一つやろうともせずに、まわりの物が花束みたいに配置されていないからというので、愚痴をこぼしているだけじゃないの。(後略)」(J-P・サルトル著/鈴木道彦訳, (2010).『嘔吐』, 人文書院, p.252)

 

私は成人式に行ったときを思い出した。

そこで当時付き合っていた元カノに発見され、「写真とろー」とコミュニケーションをとったことがあった。そこで真っ先に思ったのは(あ、そういう感じ)という心情だった。あの時の時間はなかったことになっていて、「何年来に邂逅したクラスメイト」という演劇が始まったのだった。不意に現れたその舞台へ私はドン、と背中を押されて登場し、何事も行ってはいけない言ってはいけない寸劇をこなしたことがあった。最低限の演者としての参画だけをし、私ではなく元カノが望むかたちでの”私”を演じる必要があった。

今でも思い出すということは、多分その時の風景が半ばトラウマとして残っているのだろう。彼女は大人だったということだ。私を貶すわけでもなく、腫物を扱うような視線を向けるでもなく、何事もなかったかのように自然に、一友達として接してきた。私に近寄らないという選択もできただろうが、それを行わなかった。きちんと成人式/私との関係/社会に参画したのだ。かつ、自らが劇場をセッティングするという責任さえ負ってみせた。片や私は、何かをうちたてる責任から逃げているだけだった。

これに限らず、人生において何かを演じる必要がある場面は多い。段々と責任が求められる年齢になっていくなか、私は動き出せば空回りするタイプだった。勝手に私の背中にのしかかってきた”規範”を落とさないように動き、むしろ不自然になった。その恐怖ゆえに、能動的に何かを行う性格から受動的なものに変わった。小さいころは道化としての立ち位置があった。面白い奴であればそれだけで友達は多かった。現に成人式に参加したときの一番の感想としては「キャラをLv.99まで育てるくらい昔やりこんだゲームを、久しぶりに起動した」ときの感覚だった。サブクエスト全部やってんじゃんだった。それほど私の印象はよかった。

 

もう一つトラウマを紹介すると、大学生のころ、私は自治会に参加していた。(人を侍らせたいとか掌握したいからとかではなく、単にそこに面白い奴がいっぱいいた)そこでは他大学との交流も行っていた。

ある日、シンジュクの地下のやべー下品なドゥンドゥン言ってるフロアにて会合があり、私は同じ大学の陽キャの友人Xと参加することになった。私は完全に気圧された。スパンコールドレス着てる女もいるしホストみてぇな男もいるし。萎縮して同じ匂いを醸し出す他大の人を見つけて二人、ずっと料理片手にくっちゃべっていた。こっちは真面目な話してんだから近寄んなオーラを出しつつ。カオスだった。その間、元々陽の属性を持っているXは場を盛り上げ続ける。そこでは縦軸企画が行われていて、いずれビンゴ大会の時間になった。そこでもXは場を盛り上げた。俺は大学祭等催しをする際の、電飾云々の設営費用だったりを親指でビンゴカードをポチポチと開けながら死んだ目で隣の人と話していた記憶がある。いやお前ら、大学の交流しろよ。ぜってーこのあとセックスすることしか考えてねぇじゃん。いや、そっちのほうが大学生としての交流かってやかましいわ。ビンゴカードが一列揃ってしまった暁にはXにあげるつもりだったが、そんな事は無かった。運も幸いにしてこちらを向いていなかった。

悪夢のようなメイルストロームは終わった。「ありがとうございました~!もう二度ときません!」(今日は楽しかったです!)と主催と挨拶を交わし、Xとシンジュクの夜道を歩いた。ワケェ大学生の調子乗ったスーツ姿なのが自分でクソ嫌だった。

その時に私はXに向かって「どうだった?」と訊いた。「面白かったね~!」→「めっちゃ盛り上げてたもんね!」という流れを想定していた。Xは言った。

「クソつまんなかった」

これこそが私のトラウマである。呆気にとられた。Xは社会に参画し主催よりも場を盛り上げて貢献しそれを磨き上げたのにも関わらず本心から行っていたものではなかった。自分を殺してでも場の点数を上げたのだ。今でも指折りの尊敬を感じたエピソードだ。こいつマジでカッコよすぎるって。

「あ、そう……」

その後は二人で焼肉を食べに行った。お腹は空いていなかったが、ちまちまと少量ずつ焼いた肉はあの地下で食べたどの料理よりもおいしかった。余談だがそいつは最近結婚した。結婚式呼んでくれ~~~~ますますご清栄のこととお慶び申し上げますいろいろお世話になりましたくれぐれもご自愛のほど重ね重ねになりますがご結婚おめでとうございます。

 

昔は道化として生きていた私は最近空回りを続けている。

ヒン😭

(参考:https://sup.andyou.jp/tarot/arcana0/