例大祭21レポ/『内陸』後書

例大祭、お疲れ様でした。

ドタバタと設営準備を終え、売り子がいるのに売り子と共に私も上海アリスに並ぶという有様。売り子は先頭6名に食い込んでいた。よく出来た売り子だよおまえは。博麗神主とガチ恋距離でキスするかとおもったって言ってた。一限頒布読みは見事当たり、双方『七夕坂夢幻能』を入手することができました。セプテントリオン以来かな?「300円になります」というエニグマティクデベロッパーの言葉を覚えています。

 

例大祭、前は時間ごとに分けて入場していたと思うのですが、今回は一斉入場だったらしいですね。あくまであれはコロナ鍋においての対処だったのかも。

壁沿いのお誕生日席だった自サークルでは、目の前に待機列と動線が重なっていてギチギチでした。試し読みしていた方が人の濁流に呑まれて会場を一周して戻ってきて、全部読んだのでもう大丈夫ですって返してくれたくらいです(嘘)。後にスタッフさんが直々に謝罪のち、渋滞を解消しにきてくれてなんとか波は収まりました。そのスタッフは高校の後輩でした。世界は小さく出来ている。

 

隣サークルだった旅のアリスさん(十六夜大尉(@izayoitaii)さん)、始終くっちゃべってしまいご迷惑をお掛けしました&ありがとうございました。色々話せて楽しかったです!おかげ様で緊張することなく楽しい一日を過ごせました。表紙を褒めて下さって嬉しかったです。Twitterめっちゃ掘られてるのはハズかったけど!

 

『プルキニエ』の表紙を描いていただいたどろしえさん、サークルへ足を運んでいただきありがとうございました!突然で驚くとともにわざわざご足労いただきめちゃ嬉しかったです!本タイトルにマッチした、赤と青の可視光を前面に描くグラデーションの素敵な表紙絵をありがとうございました。通底した悲哀と心情を反射させるような空とメリーをありがとうございます(平身低頭)

 

そしてそしてサークルへ足をお運びいただいた方、ありがとうございました!ロリータファッションのお姉さん、魔理沙コスのお姉さん、私服蓮子調のお姉さん、まさかの参考文献:カントとガブリエルの部分で興味を持っていただけたお兄さん、「心は学生」のお兄さん、二回来てくれた笑顔の素敵な女の子!!ごめんね!中身気持ちわるかったら親に見つからないようにすててね!それか嫌いな男子の机に入れて先生に言っちゃお!

さしてレギュレーションを決めても無い学割でも、多くの学生の方に本を取って頂けたのが嬉しかったです。やっぱり金銭の問題ありますよね……持論ですが、本にはお金は気にしないという価値観があるので、それを反映させて無料でもいいから頒布したくなっちゃいます。(半面、自分の金銭やりくりで選んだ本には思い入れが残るという利点はある)優しさなんかではなく、単なるエゴです。今宵じゃなくても飄逸なエゴです。

 

新刊は完売しました。かなり踏み込んだ本文なので、それに合わせて表紙ももうあからさまなものにしました。エルサゲート的なことはしたくありませんでした。方向性から忌避してくれる人がいればいいなってことで「※対象年齢15歳以上」等の注意書きもしましたが、むしろ予想の三倍が捌け、完売する運びとなりました。トガったものを出して完売するとは思わなかったので、すごく嬉しかったです。お手に取って頂いた方、本当にありがとうございます。

 

即売会において、「これはどんな本ですか?」と聞かれると、いつも答えに悩みます。厭な言い方をすれば他人のために作っていないから……ピーーーピョロrrrrrrrrrrrrと永遠に接続できないダイアルアップが頭の中に鳴り響く。だからこそわかりやすいコンセプトをしっかりと作る前に制定して説明できるように心がけるべきだと思ってはいるのですが(思っているだけ)、今回はそれをぶん投げて「わからん」の骨頂にあります。みなさんは、どう思いますか?(カスディベート)是非何かを見たときに自分の内に生じるジュヌセクワの存在を肯定してあげるくらいには傲慢になってあげてください。そして、それを私に伝えてくれるだけの労力を追加で少し絞って頂けると、作者はとても喜びます。

 

 

 

帰り路、『七夕坂夢幻能』をさらっと読み/聞きました。起承転結でいうところの転だと思いました。かなり動きがある。そのほか語りたいことは山程ありますが、ネタバレになる/情報が錯綜した今、自分の真の感想は出てこないと思うため、今言うのではなく作品で語ります。

しかし反面、最初に受けた印象こそが自分の最も大事にしている映し鏡の部分だとも思うので、今後どれだけ深堀をしようともこの最初の印象に勝るものは無いと思います。理論はパッションには勝てない。そこは大事にしつつ、定説と自分の感想の差異を楽しみ、もっとくゆらせてから何かが生まれるのを待とうと思います。8年くらい。

 

 

  • 『内陸』後書

秘封倶楽部に思うイメージは、秘封倶楽部全般っていうより『夢違科学世紀』のイメージが強い。私が勝手に感じている秘封に通底したイメージである「科学と非科学」「物質と形而」「夢と現」「幻想郷と科学世紀」といった二元論属性はここから始まった印象が強い。

そして今は、夢と現は区別はするけど同じ物。
現の現実と夢の現実、現の私と夢の私、それぞれが存在するわ。

                   ――『夢違科学世紀

どう考えても『Disco Elysium』の影響を受けに受けまくった作品。
煩雑とした脳内模様をそのまんま盛り込みました。キレイに収めた方がカッコいいのはわかっているが、でも粗雑な方が性に合っている。私が同人小説というものに思う印象は良い意味でも悪い意味でも「粗雑」だった。普遍性(こうあるべきだ)と我欲(こうしたい)との相剋に、我欲を勝たせた。異端で読みづらいが、私の思う同人小説像的には点数が高い。

誰かが言っていた、「同人小説とは思想や性癖を溶かして固めてナイフにして研いだもの」という言葉がすきだ。

 

 

以下、『内陸』のネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キュビスムって文学でも出来んじゃね?

まず、文の要素で"多面的"を再現しようとすると、慣用句を用いて簡単に再現することができます。例えば、上司と騎乗位をしていたとします。(いきなりゴミみたいなたとえ)自分が立場でも体位でも下の場合、相手は「上に立っている」というミーニングを作り出せます。もっというと、「立って」(起立して)はいません。下は立っていますよね。ここらへんのダブルミーニングやツッコミ(起立してはいないやろがーい!)を混濁させて風諭していくと"多面的"になるのでは? ダジャレと修辞ってすごく繊細なグラデーションの双極の上に成り立っていますよね。みなさんは、どう思いますか?(カスディベート)ググったところ日本だと文学の方が先らしいですね。キュビスム

 

・海棠の露をふるふや朝烏(夏目漱石

この句めっちゃ好きです。てか朝烏が好きです。海棠=ほろ酔いの楊貴妃という隠喩があります。ひいてはまあ妖艶な美人です。朝烏=男女の情事を破断させるカ(ラ)ス。転じて情事そのものを指す場合もあります。これだけでも、この二つが並ぶだけでも立ち位置が相反していてうつくしい。海棠に付いた露がせっかく美しいのに、せっかく朧気に、縹緲と、妖艶と佇んでいるのに、うぃ~~~~~~っすつって烏がその露を薙ぎ払ってその様子を謎のVHSで送ってきます。いいですね………………抽象と具象の関係。海棠を一つ場面に召還しただけでも色々な心象風景が思い浮かぶというのに、烏が暴力的に薙ぎ払い物的存在としての海棠が崩れてしまうために、折角の無限に広がる心象風景がそれを機にすべてぶっ壊れてしまうんです。てかこれ秘封倶楽部じゃね?あ、秘封倶楽部だ!絶対そうだ!絶対これそうじゃん!絶対そうだ!絶

 

・メンターの存在

ラストのシーンは『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』を幼少期にプレイし、衝撃的だったプロットに似ていることに気付きました。主人公であるリンクは自らが振るう剣に宿る人格、「ファイ」と共に旅をします。ファイはリンクの事を「マイマスター」と呼び、謎解きのヒントや時に相談役として活躍しつつ、厄災を甦らそうとする「ギラヒム」の奸計を止めるべく世界を駆け巡ります。いずれ二人はギラヒムを追い詰めるも、努力虚しく厄災の復活は叶ってしまいます。リンクに敗れボロボロになったギラヒムは最後の最後に厄災を「マイマスター」と呼び、厄災の剣と化します。そして、ラスボスである厄災との最終決戦がはじまる―― というものなのですが、これヤバくね? こいつも使役する/されるものの関係だったのか……!感。主人公とまったく同じ構図だったのが最後に明かされ、とても興奮したのを覚えています。正義の反対って……「別の正義」なんだ……!と、幼き頃の私は覚えてしまいました。
脱線すると、このラスボスの名前は「終焉の者」といいます。おなじみ「ガノンドロフ」等の名前がまだ付いていないのです。これめちゃくちゃ好きで、限りなくリアルだと思います。みたまんま・人の口伝で伝わっている・見た目で呼び名がついている形容、って属性が好きです。これはゲーム『Bloodborne』にこの要素がモリモリ入っていて、カッコよかったりデカかったりする如何にも煌びやかなボスの名が「聖職者の獣」「恐ろしい獣」「ゴース、あるいはゴスム」だったりします。この腑抜けたテキトー具合、その街の人間が実際にそれらを見て形容するならばそう言うだろうな、という社会を描写した背景が汲み取れて好きです。逆に、有名であったり悪名だかかったりすると人の口伝が広まり、固有名詞が付いています。良くも悪くも、人が生きる社会が決めた評価が「名前」に反映されているのです。

 

・まとめという名の雑文

「LINE」や「インスタ」などの固有名詞や、世俗的な若者言葉をそのまま使っているのは「これは我々の住む現実世界でも起こり得る」という脅迫です。スキマ妖怪の意識と銃口の照準と周りの奇異な眼はあなたに向いています。(くびき法。修辞法の一つ。異なる三つの属性が一つの”向いています”に掛かっている。)

 

作中、謎に数式が4つ登場するシーンがありますが、以下のサイトに順番にコピペしてグラフにしてみてください。蓮子が嫌いな〝言葉だけに担保された卑劣な存在〟の正体がわかります。

  • y=1/x
  • x^2+y^2=9
  • y=|2x|
  • x=-3|sin(y)|

www.geogebra.org

 

 

今回のフォントはダッシュ(――)だけ源ノ明朝にしました。他はヒラギノ明朝ProN W3です。
『Disco Elysium』で使っていると思われるしっぽり明朝使いてぇ~!けど、きっとくどいですね。『Disco Elysium』をはじめとした地の文を読みあげる系のノベルゲームは、音声によりプレイヤーが文字を読み進める速度をある程度誘導しているため、可読性の低いフォントも使えるという利点があるんだろうな、と思います。加えて、一文の文字数が少ないのであればくどさが気にならない為、ウェイトの効いたかっこいいフォントを使えるんだろうな、と。『Disco Elysium』の日本語版は一行辺り約18行。Twitterみたいな要領でくどさを感じることなくすらすらと読める。(このUIの開発には長いコストをかけたらしい。ユーザーが意識しないくらいの繊細に神は宿る)

『Disco Elysium』のプレイ画面

 

正直、今作の感じでいうと書くのが本当に楽しい。書きたいものを書けていて非常に楽しい反面、読者にかなり信頼を置いている作風だと思います。小説という、個人の世界を盲信し内向に突っ切る媒体において、ここを俯瞰すべきではない気もするが、どちらにせよ私の気を楽にするために言わせてください。ご迷惑をお掛けします。

 

この『Disco Elysium』方式の作り方は、ちょっと楽しすぎてもう一回くらい同じ物を作るかもしれません。やるんなら長篇を作りたい。実はもう草案を作っていて、『蓮台』~『七夕』という人格が脳内会議して超常的事件を解決するみたいなものを作る予定です。はい。まんまです。もう自分でわかりきっていることなので言って終いますが、どうせ正攻法で解決なんかしません。ワケわかんねー煙に巻いて終いじゃ。そして蓮子はかわいそうな目に合う。ごめん。でもそんなんになっても藻掻く蓮子が好きなんだ。

 

自分で刊行物を頒布したいというキモチと自分で刊行物を受け取りに行きたいというキモチがデカすぎて――――冬。身体という資本が足りな過ぎる。次回までにフォーオブアカインドを覚えてきます。